発祥祭
発祥祭
郡上おどりシーズンの一番最初に行われる神事です、にぎやかで盛大な「郡上おどり」の輪とは対照的に粛々と厳かに行われます。第二次世界大戦中は一年に一晩だけ「郡上おどり」の開催が許されていましたが決して楽しみで踊っていたのではなく「魂鎮め」としてです、会場となった願蓮寺の境内に戦死された方の写真を並べてお経を上げてから踊りました。先人の伝統文化の継承に感謝し、さらなる発展や参加される方の笑顔と安全を発祥祭で願います。。
かわさき
かわさき
・郡上の八幡 出ていく時は 雨も降らぬに 袖しぼる
・天のお月様 ツン丸こて丸て 丸て角のて そいよかろ
・郡上の殿様 自慢なものは 金の弩標に 七家老
・心中したげな 宗門橋で 小駄良才平と 酒樽と
・金が出る出る 畑佐の山で 銀と鉛と 赤がねと
・向小駄良の 牛の子を見やれ 親が黒けりゃ 子も黒い
・唄も続くが 踊りも続く 月の明るい 夜も続く
・日照りしたとて 乙姫様の 滝の白糸 切れはせぬ
・雪の降る夜は 来ないでおくれ かくし切れない 下駄の跡
・咲いた桜に なぜ駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る
ヤッチク
ヤッチク
・これは過ぎにしその物語 聞くも哀れな義民の話
時は宝暦五年の春よ 所は濃州郡上の藩に
領地三万八千石の その名金森出雲の守は
時の幕府のお奏者役で 派手な勤めにその身を忘れ
すべて政治は家老に任せ 今日も明日もと栄華にふける
金が敵か浮世の習い お国家老の粥川仁兵衛
お江戸家老と心を合わせ ここに悪事の企ていたす
哀れなるかな民百姓は あれもこれもと課税が増える
わけて年貢の取りたてこそは いやが上にも厳しい詮議
下の難儀は一方ならず かかる難儀に甚助殿は
春駒
春駒
・郡上は馬どこ あの磨墨の 名馬出したも気良の里
・私ゃ郡上の 山奥育ち 主と馬曳く糸も引く
・金の弩標は 馬術のほまれ 江戸じゃ赤鞘郡上藩
・駒は売られて いななき交わす 土用七日の毛附け市
・なんと若い衆よ 頼みがござる 今宵一夜は夜明けまで
・日照りしたとて 乙姫様の 滝の白糸切れはせぬ
・村じゃ一番 お庄屋様の 小町娘の器量のよさ
・踊り子が来た 大門先へ 繻子の帯して浴衣着て
・二十五日は 天神祭り ござれ小瀬子の茶屋で待つ
・東殿山から 覗いた月を 映す鏡が吉田川
屋形の移動風景
屋形の移動風景
郡上おどりの輪の中心にある屋形は人力で会場移動をします、おどりの当日に早めにお越しの方はぜひ参加してはいかがでしょうか、のんびりと移動するので女性でも大丈夫です。
検証「郡上おどり」徹夜は本当か!
検証「郡上おどり」徹夜は本当か!
2009年8月14日の徹夜踊りです。
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郡上おどり
終戦直後の郡上おどり

四民融和のため郡上藩主が奨励したと伝えられる「郡上おどり」ですが、1820年(文政3年)郡上藩庁の触書「城番年中行事」の中に『前々から武士関係者は郡上おどりに行ってはダメ!と言っています、郡上おどりに行かないようにしましょう』と言う禁令が発せられた記録があります。第二次世界大戦中は官憲(役人・警察関係)から毎年8月15日の一晩だけ「郡上おどり」が許可されていました、玉音放送がラジオから流れ終戦日となった1945年8月15日には中止勧告がありましたが「魂鎮め」として住民が自然発生的に踊りました。






