庄村米穀店
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れが最後か、朝鮮ビエの製粉   平成23年梅雨期

 しばらく欠品となっていました「朝鮮ビエ粉」、ようやく製品となりました。
昨年秋に収穫・天日干しと脱穀を終えたところで時間切れ。

梅雨の晴れ間を利用して、還流式精米機で鬼皮(外皮)を取り、屋外に設置した業務用シンクを利用して、表面の泥や砂粒を分ける。
昔からイナゲまたはユナゲと呼ばれる方法で、砂金採りみたいなもんです。

泥は水に溶けて流れる、砂粒は水より重いため沈む、それに比べ、朝鮮ビエの粒は水より重いため沈む、たったそれだけの単純な原理です。 ン?
簡単な作業とお思いでしょうが、これがイヤ・イヤ・イヤ・・・・高度な技術。今どきこれができるのは、余程の田舎人間だけです。

 洗い終わったら天日干し。梅雨の真っ最中に一連の作業ができたのは、正に穀物の神様からのプレゼントか。感謝。

カリカリに干しあがったらようやく製粉機の出番。粉になっていよいよ完成!は、まだまだ。篩い機で未製粉の粒などを除去して、いよいよ完成!まだ早い。
すぐに袋詰めしたいところですが、この時期の製粉は熱を持ちやすいため解熱剤を・・・使いません。

冷蔵室で一定温度まで下げてようやくパック作業。という工程です。

 ところで、なぜ朝鮮ビエは洗わなければいけないか。
この雑穀が山間地の救荒作物として重用されたのは敗戦後の数年間。私はまだ現世のモノではありませんでしたが、昭和期のなかで最も食料不足の時代だったようです。
場所を選ばずどこでも育つ。手間をかければコメ・アワ・ヒエ・サツマイモの収穫前に食べることができる。

ただし、この穀物はある時期になるとわずかな風雨で、一斉に倒れるのです。しかも方向はバラバラ、地面にべったり。当然のように泥や砂が穂にこびりつく。
それでも、とにかく食べられれば良い。たとえ砂をジャリと噛もうが、鬼皮の粉で喉がイガイガしようが。


 今は何につけてもクレイマー、クレイマーの時代。
朝鮮ビエを商品として世に出すための困難さは、他の雑穀類の比では有りません。


 過去に、朝鮮ビエで地域おこしを考えた農業者団体などから、このような依頼の申し入れを受けたことがあります。
 行政の音頭取りで総力をあげて朝鮮ビエを栽培し、収穫・乾燥まではできたが、その後が何ともならない。この後の作業を委託できないか。
別の地域では、同じく朝鮮ビエを地域特産品として商品化を図り、試作品もできた。ところが、いざ栽培してみると手間ばかりかかって、とてもやってられない。
庄村さん・・代わりに作ってウチへ送って。 エェェ・・・!(言葉には出しませんが)


 朝鮮ビエは山間地の常民の生命をつないだ貴重な穀物。
ただし、育てることだけは簡単ですが、その後の作業はたいへん厄介な穀物です。
私自信も今後、商品用に朝鮮ビエを栽培する予定はありません。これが最後の朝鮮ビエの製粉になるのかなあ・・・と思いながらの作業でした。



元にもおよびませんが

静岡県には「一社一村しずおか運動」というものがあるらしい。
そういえば、半年ほど前の岐阜県政だよりにも、参加企業の募集があったような。

詳細や事例はホームページで検索していただくとして、ある意味では絶賛に値するかも知れないが、反面、何を今さらの気がしないでもない。
もっとも、「私たちは地域社会の中で、こんな良いことしてますよぉ・・・」というようなイメージ作りは大切です。


私の住む郡上八幡の中心市街地から3里(古い!)奥まった集落には、アワを用いた神事が引き継がれています。と言っても神仏習合の祭事で主役は薬師如来様です。

これを知ったのが数年前、この時すでに肝心のアワは諸般の事情により、集落内で栽培することができない状態。どこかで購入していたらしく、雑穀はコメより高価なため、気休め程度の混合率でした。

この薬師様、あるいはこの行事、江戸末期から近隣の集落はもちろん、町衆からも眼科・耳鼻科・嫁取り科の信望が厚く、はるか以前には出店が並んだこともあるとか。

今では祭事の日に参拝される方は近隣の集落の方だけで、市街地に住む人でこの行事の存在を知る人は、皆無に近い状態となっています。


雑穀をナリワイとする当店、この薬師様との出会いも何かの縁と考え、自分で栽培した在来種のアワをお供するようになって今年で6年目。
一社一村運動は当店には無理ですが、「一商店一集落の一行事」ならどうにか続けられそうです。

売名行為の効果は考えるまでもありません。なんせ、この集落の戸数は6です。

 


と夏の経験 ウフ

郡上市には野生動物が多く生息しています・・・と書けば大変イメージがよろしい。

ところが、山間地で雑穀や野菜作りをする人にとっては、きれいごとでは済まないのが現状です。

サルは食べごろになった野菜類を強奪し、イノシシは種まきや苗の移植をしたばかりの畑を掘り荒らす、あるいは農道の石垣まで壊してミミズを探す。

そして。近年いちばん困っているのがシカなのです。
(あの有名なチデジカやカクカクシカジカとは種類が違います。悪しからず)

日中でも人家近くに現れ、出揃った新芽を根本から舐めるように食べ尽くのが特徴、最も困っている動物です。

 

でも実は、更に問題となっているのがヒル(蛭・ヤマビル)なのです。

サルやシカが体毛につけて人里に降りるため、山畑どころか平地の畑や農道にも大量発生し、咬まれた人も大量発生。

 

かく云う私も、この夏ついにやられました。

自然散策や雑穀栽培で何十年と野山にかかわってきましたが、今までヒルやヌエの被害にあったことは無し。

ただ、ヒルの被害が多いことは常に見聞きしており、対策もそれなりにしてきました。

靴は紐付きの長靴、上着は長袖、使わないよりは効果があるらしい虫除けスプレーを膝周りや首廻りに吹きつけ、これなら完璧。

ところが、山畑ではなく、いちばん山から離れた畑でアワの刈り取りをしていた時に、「アッ! 何となく長靴の中が痛痒い」これが私のヒル被害の初体験。

 

山畑が耕作放棄される理由がここにもあります。


(元)蕎麦打ちオヤジ パン焼きオヤジに変身中

 

とはいえ、まだまだホームベーカリーの段階です。

 もともと蕎麦打ちを始めたのは、手元に蕎麦粉があったから。
もう30年ほど前のことです。

試行錯誤の繰り返しの末、人様にお伝えする程度の技量を身につけた頃から、自然とお座敷がかかるようになり、小中学校や高校の体験学習や授業、公民館や市町村の講座など延べ130回ほど、そば打ち教室の出前をしました。

それなりに充実した蕎麦打ちオヤジを楽しんでおりましたが、数年前に蕎麦打ち教室は終了し、道具の殆どは「あとは頼むよ」と後継者に譲りました。

その理由は、機材一式の搬入搬出を行う体力が無くなったことにつきます。蕎麦打ち教室の会場はなぜか2階がほとんど、道具類を持っての階段上下は千日回峰に匹敵。成人式を過ぎたオヤジには無理!と悟りを開いたのが大きな理由です。


そして今、はまっているのがパン焼き。

蕎麦打ちを始めたきっかけが蕎麦粉なら、パン焼きを始めたのも小麦粉・・・
ではなく「タカキビ粉」。

タカキビは郡上の代表的な雑穀。ところが日本熱帯化の影響か当地ではこの数年、以前のような大粒の実が稔らなくなり、餅や雑穀料理には適さないものが多くなっています。同じ手間をかけても、B級品とは空しいものです。

山間地には「粒で売れないなら粉に、更に商品にまで仕上げて加価値を付ける」という知恵が伝わっています。塩せんべいやみたらしだんごがその例です。

現代の食生活に合った使途はないものか?

それがタカキビ粉でパン作りという次第です。


結構いけます。興味ある方はお試し下さい。

 

◆参考データ◆

使用機種  パナソニック製ホームベーカリー SD-BH102 一斤用

材  料 

  強力粉    たかきび粉10%の場合    225g
         たかきび粉15%の場合    212g
         たかきび粉20%の場合    200g

  たかきび粉  たかきび粉10%の場合     25g
         たかきび粉15%の場合     38g
         たかきび粉20%の場合     50g

  砂糖      粉の配合にかかわらず      17g

  無塩バター        〃          10g

  スキムミルク       〃           6g

  塩            〃           5g

  水            〃         180cc

  ドライイースト      〃           2.8g

食パンコース   焼き具合 普通      タイマー使用 可

 

 

もう少し上達したら、国産小麦や天然酵母も試してみたいところです。
体験談・参考事例などお知らせいただければ、うれし涙ポロポロです。


こへ向かうのか 雑穀の道  

最先端の業種と言われていたシゴトが、大きな嵐に巻き込まれています。
では雑穀の世界は・・・。

当店が本格的に在来雑穀と関わりを持ちはじめて、すでに四半世紀。
私たちの技量では大きな商売は無理と心得ていますので、細々とした商売を営みながら、地域固有の種子と雑穀文化の継承のお手伝いを目指してきました。

道にたとえれば、山道や旧街道のようなものです。

山間地と町、あるいは集落と集落を結んだ道は、夏には草刈り、冬には雪捨て、路面が窪めば土砂で埋め、台風で決壊すれば回り道を作る。
何年も、何十年も、何百年もそれを繰り返してきた中に、私たちも作業者あるいは利用者として存在しているつもりです。

では昨今の雑穀の道は。


この10年ほど、雑穀を冠にして、多種多様の雑穀道が作られました。
突貫工事で開通させた高速道路のようなもので、突然現れたと思ったら、あっと言う間に完全舗装の道路の完成。

その上を走るのは「雑穀ダイエットや健康ブームに乗り遅れてはならない・・・」と思わされた人たち。

 

一昨年頃から、その新しい雑穀道に異変を感じています。
順風満帆、それ行けドンドン・・・。堅固でしかも美しいはずの新しい雑穀道に決壊や閉鎖が始まっています。

 

雑穀は本来、お上やマスコミの影響で左右されるものではなく、常民が自分の家族と集落のため、自己の甲斐性で育てるものと考えています。
それが善からぬ方向に走ると、日本の雑穀文化は衰退の道へ向かいます。


道端の草花や鳥の声に心を寄せながら、ゆっくり堅実に雑穀の道を歩んでいただける方となら、末永くお付き合いをしたいものです。

 

                      店主毛薄?


直者

 十数年前に毒物劇物取扱者(一般)という国家資格を受験したことがあります。
(なんとか合格証書は届きました。)
その試験会場が某女子短大。おまけに教室に平行して建っているのが寮。

受験者のほとんどがオトコとくれば、当然のように試験開始までの待ち時間は、窓際に総ぞろい。不届きモノ!ここを何処と心得る。寸暇を惜しんでしっかり勉強せい。私のように。・・と言わなかったとか。

 

この時に覚えた薬品の名前が事件事故のたびに出てきます。

地下鉄サリン事件の時に解毒剤として使われたPAMとか、舶来ギョウザに混入されていたなんとかボスとか。

今でも運転中にタンクローリーの後ろを走ると、これは何を積んでいるのかな?と確認したくなります。

 

そんなこんなで、農薬にも多少の興味と知識がありますが、雑穀業界に定着している情報には大いに疑問を感じています。

簡単に言えば、疑うことを知らない素直な購入者を欺くようなPRと、販売者の農薬に対する知識不足。(本当は知っているのかも)

詳しいことを文書にすると営業妨害とにらまれる可能性がありますので、そこそこにしておきますが、雑穀に対して法的に使える農薬があるのはソバとハトムギだけ。

言い換えれば「農薬を使わない」のではなく「農薬は使えない」のが実際です。

「無農薬で作りました」「無農薬での契約栽培」はちょっと表現方法が違うんじゃない?と思うのです。

 

カナヅチ同然の私が、ネットサーフィンを楽しんでおりましたら、こんな雑穀屋さんの広告に遭遇しました。

○ ○穀ブレンド雑穀・減農薬・中国産

この会社は正直です。


球にやさしい百姓をめざす君へ

 在来品種の種つなぎに、とりあえず10年は関わろう・・・その間には次の人が現れるだろう・・・と、雑穀栽培を始めたのが10年前。

農作業の経験も知識もなく、好奇心だけでスタートした時、百姓大先輩からの助言が「休耕田での雑穀作り3反は無理、身体をつぶす」でした。

厄年を過ぎたとは言え、その頃はまだまだ体力には自信があり、北アルプスや八ヶ岳に出かけていた頃です。

 それから10回の収穫を経験しました。

雑穀栽培は雑草との勝ち目の無い戦い。常畑と違い休耕田は季節ごとに次々と異なる植物が芽を出し成長します。

水田での稲作なら、一発除草剤の散布で双子葉植物はもちろん、野ビエの仲間もほとんど抑制できますが、雑穀には法的にOKの農薬類は無し。

もっぱら道具のような・機械のようなものを駆使して、ひたすら手作業での除草です。

 これがキツイ。

種まきから収穫直前まで、両膝をついての草抜きや、中腰での刈り取りを繰り返すこと5回。雑穀栽培を始めたころは、それほど苦しいとも思わず作業ができたのが、50歳を過ぎた頃は、1ウネを取り終わると立ち上がって腰に手を当てウ〜ン。最近は1ウネを休みなく作業することもできず、途中で座り込んでため息の連続。


 地球と消費者にやさしい農業をします・・・との大志をもって、新規就農される何人(何組)かの若者との交流があります。

耕運機やトラクタ・刈払機など化石燃料を使う機械類を使用せず、鍬1本で野菜や穀物作りに励んでおられます。

それで生活できるか否かは私の立ち入ることではありませんが、気になるのはこの若者が50代・60代になったときの健康です。

 

地球にやさしい農業をしたから、老後も健康に暮らせるか。

それは「否」です。

 

腰痛は以前からありました。が、若い頃は一過性のものでした。

ところが昨年春からは片側の腰から足にかけて日常的に痛みとしびれがあり、整形外科に入院して検査を受けました。

椎間板が潰れており、脊柱管は狭窄部あり。

これって「日本昔ばなし」に出てくる、腰の曲がったおじいさん・おばあさんの一歩手前状態?

 

地球にダメージを与えない農法で作った作物を、消費者からは「立派・あんたはエライ」と誉めてもらえるかもしれませんが、老後の痛みに対しては何の保障も補償もありません。買い手は次の生産者を選ぶだけです。

 

地球にやさしい農法で、もちろん無農薬。
でも、生産者の老後はクスリ漬け・・ということにはなりたくないものです。私は去年の5月以来、鎮痛剤の漬物になっています。

 


 

 映画館のない田舎暮らしとは言え、封切りから半年もたてば評判の映画もテレビで放映される時代です。
ところがマイナーな映画の場合、その時その映画館でしか出会うことができません。

 高速道路で1時間強をかけて映画館に出かけ、「水になった村」を見てきました。
平成の大合併以前に地図から消滅した岐阜県揖斐郡(旧)徳山村。全国的にも何かと話題になったダム建設のため、やむなく「地域おさめ」をせざるを得なかった老人たちのドキュメンタリーです。

 

 この映画は表立ってダムの必要性を世に問うているものではなく、純粋に旧徳山村のしかも山間地の暮らしを記録したものです。

特に、保存食に関する内容が殊のほか深く濃く記録されており、私にとっては90分全部が宝石箱のような映画でした。

 栃の実のアク抜きや山菜の塩漬け、ワサビ採り、胃薬の原料であるキハダの皮むき等々、かつては日本中の山間地で当然のように行われていたものの、近年あっと言う間に消えてしまった仕事ばかりです。

 かつての徳山村は雑穀と栃の実の里。特に栃の実のアク抜きは柿の渋を利用した「こざわし」という特殊な製法で行われ、今では再現も困難なものです。

 

この映画では雑穀に関するものは出てきませんでしたが、目の前のスクリーンには映っていなくても、山畑でアワやヒエを蒔き、炎天下で草を取り、秋空の下で穂を刈る様子が脳裏のスクリーンにはしっかり映っていました。

 

 雑穀ブームの中、健康はもちろん最近は美容の言葉までが料理雑誌に踊っていますが、当店にとって雑穀とは、「生きるため・明日の仕事ができるための地域食材」です。

流れに乗って商売をすれば、(利益の面では)面白いものがあるのでしょうが、私たちは雑穀に関わり始めた時の考えを大切に、食文化を楽しみながら小さな商売を続けたいと考えています。地域とともに。

 


かきび伝説 

 

 雑穀には諸々の取り巻き団体があります。
多くは健康や安全・安心をキーワードにして、販路の拡大や組織の拡張を目指したもので、「雑穀でダイエット」「雑穀で健康な生活」「身体と地球にやさしい・・」等々の宣伝文句が市中にあふれています。

 その中で私が以前から気になっていたことがあります。

ほとんどの団体に共通する考えが、食べる部分が地中で育つものは身体を温め地上部で育つものは身体を冷やす作用がある、と言うもの。

わかりやすい例が、芋類は暖める食べ物、そばは冷やす食べ物という区分です。中には熱帯地方を発祥とする作物は身体を冷やすので、日本人には不向きとか。(それにしても、コーヒーは美味しいなあ)

  そこで大きな疑問。

当店は米穀の商いと共に、冬期は餅の製造も行っています。

雑穀や栃の実を使った餅で、米麦が地元で確保できなかった、あるいは、雪深い冬場の水仕事が不自由だった頃の名残でもありますが、地元のお年寄りにはたいへん好評です。

その中で、よく耳にするのが「タカキビ餅は身体を温める」「冬の寒さはタカキビ餅でしのぐ」「冬はタカキビ餅が絶対必要」という話し。

  あれあれ不思議。

当地のタカキビは草丈3メートルにもなる長稈種。雑穀界の定説からすれば体温はぐっと下がるはずです。
田舎のじいちゃん、ばあちゃんたちの言っていることは、間違っているのか。この疑問をいつも持ち続けておりました。

 ところがあることがきっかけで、問題解決となりました。

きっかけは、有力な雑穀業者が集まって組織した資格講座での内容。タカキビの赤い色素が持つ各種の微量ミネラルは、寒冷ストレスを抑える作用があるというもの。

 ウーン、そうだったのか。

業界の定説よりも、地元のお年寄りの体験の方が正しかったんだ、と感心したことです。

この講座の受講料は55,000円。疑問解決への対価としては決して高くはありませんでした。

 


しくない国 日本 「食べ歩きツアー」に思う

 

今年も1月末にお伊勢様(伊勢神宮)へ行ってきました。

穀物屋としては当然のように最初に外宮へお参りして、日照りが続かないよう、台風の被害が無いよう、そしてコメ・ムギ・雑穀の豊作を祈願してきました。

そのお伊勢様で感心したことが一つ。
とあるオッサンがくわえタバコで歩いているのをご婦人が見とがめて、おだやかに注意

・・お伊勢様の中は禁煙ですよ・・・。

 

このご時勢、私のように頭の古いオジサンには納得できないカネもうけが、各地の観光地で行われています。

それが食べ歩きツアー。あるいは食べ歩きパック。

あっちの店でナントカを受け取って食べながら歩き、次の店でまたナントカを受け取って食べながら歩く・・・この繰り返し。

私が子供のころは、食べながら歩くこと自体が考えられなかったことですが、今では大の大人がムシャムシャ・テクテク。

観光客が一列になって、食べながら次の店を目指して行進している姿を、ちょっと変だなあと見ているのは私だけでしょうか。

時には小・中学校の体験学習でさえ、市中の散策とやらで食べ歩きが行われています。

 

その筆頭が、みたらしダンゴ。

みたらしは御手洗。トイレではありません。
禊(みそぎ)が起源で、心の罪や穢れを祓うために全身を清めるところを、手を洗い口をすすぐことで簡略化したもの。
みたらしダンゴの本来は、神様へのお供えを意味する神饌菓子です。

そのほか、フランクフルトやらコロッケやら和菓子に洋菓子・生のキュウリから焼肉まで、次々と食べ歩き商品が現れています。

 

このような観光スタイルは外国から伝わったものか、日本で発生したものか。集客のため、商売のためとは言え、私個人としては恥の文化だと思うのですが。

金に飽かしたグルメ食材と異なり、生きるため働くために細々と作り続けられてきた雑穀に関わる者としては、何とも理解しがたい時代になってきました。

 

「美しい日本」ってなんだろう。今度、アベさんに聞いてみよっと。

 


帰り

 

 私の栽培している雑穀類は、すべてが当地内で受け継がれてきたわけではありません。
現在、稗は飛騨在来白ビエ・赤ビエの2種類を作っていますが、自家栽培を始めた頃には、地元で発芽能力のある在来ヒエを見つけ出すことはできませんでした。

 全国的に有名な雑穀業者から入手した種子を蒔いたら、あれよあれよと成長し、その結果は・・・なんと、葉茎ばかりで実がほとんど付かない飼料用。
さすが商売人はやることが違うと感心したことです。

なんとかして、岐阜県の在来種を復活させたい。この思いは募るばかりでした。

ところが、思いはかなうものです。

雑穀の研究者団体の大先輩から、ひょっとしたら有るかもしれないので探してみましょうとの話し。

ありました。なんと東北地方のある種苗会社に。東北在来のヒエ各種と一緒に送られてきたのが、前述の飛騨在来白ビエ・赤ビエ。

手のひらに乗るほどのわずかな量でしたが、私にとってはタカラモノ。最初の年はタネ作りを行い、本格的な栽培は2年目からでした。

里帰りした飛騨在来のヒエは、田んぼの雑草であるイヌビエや飼料用ヒエとは似ても似つかぬ立派な穂形。

それにつけても、岐阜の在来種が東北でタネ継ぎされてきたことに感激したものです。

 

穀物の神様のイタズラか。ウルチアワには妙な穂形のものがあります。
代表が猫足型と呼ばれるもので、私がこのアワに出会ったのは平成10年の秋。

雑穀研究会の研修会が長野県遠山郷で開催された折、農家の庭先に干してあったのが今までに見たことのない穂先をした雑穀。これが猫足型ウルチアワでした。

後日、現地の篤農家にお願いして譲り受けたのものが、現在も私のところでタネ継ぎしているウルチアワです。

当地でも昭和の初期には山間地で作られていたようですが、完全に絶えて久しく、これを私が栽培した最初の年には、覚えのあるお年寄りからたいそう懐かしがられたものです。

 ところが最近聞いた話では、長野県でも猫足型のものは、ほとんど作られなくなったとのこと。穂が小さい、必然的に収量が少ない。栽培者が敬遠するのもよく理解できますが、このまま絶滅の道も惜しい・・・。

今度は私が、猫足型ウルチアワを信州に里帰りさせることになるかもしれません。

そのためにも、もう少しタネ継ぎのための栽培を続けます。
腰痛と付き合いながら。

 


神様と穀物

  信教の自由は十分に理解しておりますので、このページが不快と思われる方は
  まあ、テキトーに読み流してください。
 

 地元の神社で氏子総代をしております。(浄土真宗の門徒でもあります)

少し前までは、どの地区でもそれ相応の年齢に達した人が、地域文化の維持のためと割り切って引き受けていましたが、田舎とは言え昨今は状況が大変化。煩わしい役目はできる限り断ろうという時勢に、私、引き受けてしまいました。その要因の一つが、当店がナリワイとしている米・雑穀は、神社といちばん関係が深いんじゃないかな?
ならば、もう少し探究してみようか、という好奇心からでした。

ちなみに17年度の出社日数は、いちばん下っ端の役目ながら28日ありました。 

 神社といえば何かと論争のタネになるナントカ神社がありますが、私が奉仕しているのは地元の氏神様。郡上市ではいちばん氏子数の多い神社ですが、それでも普段は無人です。

以前は郷社という位置付けがあったようです。郷は白川郷とか秋山郷の郷、集落の集合体です。

 ところで神社は何をするところ?

神社と言っても何百人の神職・スタッフが務める大きな神社から、山際の集落を見守る小さな祠までさまざま、その行事・神事も同じではありません。

私のところの氏神様では次のような行事が執り行われています。

1月

元旦祭

2月

祈年祭・節分祭

3月

稲荷祭

4月

祭礼

5月

風日祭

6月

夏越の祓い

7月

秋葉祭

8月

祖霊祭

9月

稲荷祭

10月

金比羅祭

11月

新穀感謝祭

12月

大祓い

祈年祭・節分祭は季節の変わり目に流行しやすい疫病から、自身や家族・集落を守るため。祈年祭で祈念するものは五穀豊穣。

稲荷祭は商売繁昌を願うものと思われがちですが、本来は字のとおり稲をはじめとする穀物の豊作祈願です。

祭礼はもちろん五穀豊穣と平和なくらしを祈るもの。春祭りですから、畑仕事を始める前の豊作祈願です。

風日祭は悪しき風や悪しき陽・悪しき雨などが来ないように願うもの。つまり台風が来ないよう、干ばつにならないよう、適度な風や雨で作物が育つようにというものです。

夏越の祓いは神社に限らず、仏教の一部宗派でも行われている茅の輪くぐりでおなじみ。スサノオノミコトが旅の途中で日が暮れてしまった時に、貧しいながらも蘇民将来は粟粥粟の座で一夜をもてなし、そのお礼として教えられた茅の輪で疫病から免れた・・・という物語。

金比羅祭は交通安全祈願となっていますが、海沿いでは船の安全航海、当地のような山間地ではもともと荷車・荷馬車の安全祈願です。

新穀感謝祭は説明するまでもありません。

 

端役ながら一年を通じて神事に関わってみると、神社の目的は穀物の豊作祈願そのものと感じました。果たしてみなさんの氏神様、どのような行事・神事が行われているでしょうか。

 

今までのひとりごと 2/1/



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