「やっちく」白井権八・小紫の巻
- 国は中国その名も高き 武家の家老に一人のせがれ
- 白井権八直則こそは 犬の喧嘩が遺恨となりて
- 同じ家中の本庄氏を 討ってたちのき東をさして
- 下る道中桑名の渡し わずかばかりの船賃ゆえに
- あまたの船頭さんに取りかこまれて すでに危きその折からを
- これを見かねて一人の旅人 白井助けて我が家に帰える
- これぞ名におう東海道の その名熊鷹山賊なるぞ
- その家うちには美人がござる 名をば亀菊つぼみの花よ
- 見れば見るほどおとなしやかで その夜権八がョ寝間にとしのび
- これさ若様侍様よ知って 泊りか知らずにいてか
- この家主人は盗賊なるぞ わしも三河の富家の娘
- 二年前からこの家に取られ 永の月日を涙で送る
- 故郷恋しやさぞふた親も 案じしゃんすで有ろうと思う
- お前見かけてたのみがござる どうぞ情けじゃ不憫じゃほどに
- わしを連れ立ちこの家を 逃げて故郷三河へ送りたまえと
- くどきたてられ権八殿は さすがよしある侍ほどに
- そのわけがらをば残らず聞いて さればこの家の主人を始め
- 手下盗賊皆切り殺し お前故郷へ御連れ申す
- 二人密かに約束かため 娘亀菊立ち出で行きゃる
- それと知らずか熊鷹殿は 手下幾多にささやきけるは
- 今宵泊めたる若侍の 腰にさしたる一腰こそは
- 黄金作りの名作物よ 二百両から先なる品じゃ
- それを奪わん我等がたくみ 奥の座敷にねかせて居いた
- 最早時刻も夜半の頃よ 奥の一間に切り込みければ
- されば白井は心得たりと それと白井は抜く手も見せず
- 主人熊鷹手下のやつら 一人残らず皆切殺し
- それと亀菊手を引きまして なれし三州矢作の長者
- 一部始終のはなしを致す 長者夫婦は喜び勇み
- されば此の家の婿にもせんと すすめられども権八殿は
- なをも仕官の望もあらばいと まごいして立たんとすれば
- 今は亀菊栓かた涙 是非も泣く泣く金取り出して
- 心ばかりの餞なりと 云へば権八気の毒顔に
- 志ざしとて頂き納め 花のお江戸へ急ぎて下る
- 行けば程なく川崎宿の 音に聞こえし萬年屋とて
- ここにしばらくお休みなさる さればこれより品川迄の
- 道は何里とお尋ねなさる 道はわずかの二里程なれど
- 鈴ケ森とて難所がござる 夜ごと日ごとの辻切りあれば
- 今宵当所にお泊りあれと すすめられども権入殿は
- 大小指す身がそれしき事で 恐れ泊らば世間の人に
- 憶病未練の侍なりと 長く笑われ恥辱の種よ
- それはもとより望でござる 勇み進んで品川迄の
- されば白井の権八殿と 同じ茶屋にて休んで居たる
- 花のお江戸に其の名も 高き男伊達にて幡随院長兵衛
- 白井出て行く後見送りて さすが侍あっぱれ者よ
- されば若衆の手並を見んと 後に続いて長兵衝こそは
- 鈴ヶ森へと早さしかかる まだも此の先詠みたいけれど
- 上手で長いは此の場によいが 下手で長いこた先生やに御無礼
- やめろやめろの声なき内に ここらあたりで切止めまする
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