第101話
「ある女子工員の話」その一
- 父は、七年病んで、わたしの五年生の時に死んないた。母と二人の姉と、小さい弟と、五人が残されたんやな。わたしは、一年生にはいる時・・・
第102話
「ある女子工員の話」その二
- 十七年の終りごろ、紡績工場が落下傘の工場に変わることになってよ。片っ端から紡績の機械を、バーン、バーンと、たたっ壊いて、なんにも・・・
第103話
「本光寺の七不思議」
- 大永五年といいますから、およそ四百五十年前に、天台宗から浄土真宗になったようです。それで、現在は、真宗になってから二十代目にあたり・・・
第104話
「鳥居宮と成就の宮」
- 鳥居宮と成就の宮の開基は、泰澄大師である。泰澄大師は、今から約千二百年前、越前の国麻布の住人三神安角の二男に生まれ・・・
第105話
「薬と梅」
- 元の家は、間口が十三間半、奥ゆきが八間やらで屋根ふくには、三原から小保木中頼んで一日でふいたもんです。石を載せた板ぶきだでね・・・
第106話
「牛と猪と親仁どの」
- 親仁どのは、厳格で、もう言いだいたらきかん男でなン。ずいぶん小保木でも評判で、カンナリサマで通ったんです。家内やなんにも・・・
第107話【令和版】
「父」その一
- 母もそうであったが、父の髪の毛は、八十を過ぎても白くはならないで、だんだん色褪せ、薄くなっていった。私は、家を出離れて・・・
第108話【令和版】
「父」その二
- 父は、冬場、引越しのオッポを、ほおかむりの上にヒサシを外へ折り曲げて被ったが、生涯、帽子と名のつくものは被らなかった・・・
第109話
「車と四十年」
- わしが物心ついてから、初めて見たのは、やっぱり、助右衛門さのほろの畳めるオープンでしょう。昔は、セダンてなもな、割合少なかったですわ・・・
第110話
「足入れと本祝儀」
- 剣の学校には、バイオリンはあったけんどね、オルガンはありませなんだ。君が代や皇御国を先生がバイオリンをひいて歌わせなさったんです。高等科を・・・
第111話
「それから」
- お母さまは、デイにおいでなさるしね、わたしは、この奥のナンドでね。女中さんが、「ねいさま、ごはんを食べなれんか。」ってておいでるとな・・・
第112話
「しらみ」
- 頭のしらみは、大分おそうまでおったな。わしの姉娘が学校へ出る時分のことやで、昭和になってからの話や。その子が学校から帰ってきて、「授業中に・・・
第113話【令和版】
「八幡学校」
- 私は、明治三十九年が高等科卒業でございます。私が小学校に入学します時には、母が地織り縞の男の子の袴を作ってはかせてくれました。それは後ろに・・・
第114話
「おいたち」
- 信楽寺は、焼ける前は落部に向かって山間をはいったところでした。私の育ったころは今のとこでござんせん。西川小学校は、天神様と・・・
第115話
「中学のころ」
- 明治の終りごろは、中学というと郡上は大体飛騨の高山へ行くことになっておりました。多少は岐阜へも行きましたが、まずまず・・・
第116話
「京都以後」
- 私は、とにかく若い時は体が非常によかった。それでね、一昨年,前立腺肥大で京都の日赤にかかった時、専門医が、これは・・・
第117話
「明治の悪でっち」
- やんちゃ坊主でな、家においとけんで、わしゃ七つから学校へ行った。そんでもどうもなかったで。ジッサは、白鳥の布屋へ働きに行かした。朝・・・
第118話
「明方のころ」
- 父のことをみんなが、トラマ、トラマって言っとったが、あれはどういうわけやったしらんがな。父、置田英一は、確か慶応二年の生まれでしたな。母は・・・
第119話
「明治の学校こども」
- わしらの時は、今のような鉛筆はたんとなかった。手帳にはさむ鉛筆ぐらいの太さの、芯ばっかの鉛筆で青いような紙が張ってあったんですな。字は・・・
第120話
「ろくろ屋」
- 親仁は、美並村半野の佐藤という家の二男で、岐阜へ出て、菓子屋や薬屋の小僧をしておったこともあったそうですがな。そのうち加納の傘のろくろ屋へ・・・
第121話
「あのころ」
- わたしが、尋常四年の時、中途で、八幡学校が島谷学校と合併して、現在のところへ移るということになってね。委託生徒は、十五、六人でしたがね・・・
第122話
「散歩唱歌」
- わしは、口長尾の庄四郎の出やわいな。わしらの時分は、奥住の学校は、今よりちょっと上方でしたわいな。切妻の二階家で、下は、玄関の右手に事務室が・・・
第125話
「母袋の学校」
- わしが一年生にはいった時分は、日露戦争の盛りじゃったな。戦争であっちこっちしたんか、どういう関係じゃったしらんが母袋の家数は、四十八戸・・・
第126話
「銀のそろぱん」
- 頭は、全部が全部すったんで、わしらが盛りになるまでは、バリカンなんてもな知らなんだな。まーず、わしは痛がりで、頭をすられることが一番・・・
第127話
「小川のまつり」
- 小川の白山神社は、昔、大坪銀助という人が建てられたと聞いとりますがな。村井という名前のはいった石灯籠があるが、その他には、年号の知れる・・・
第128話
「イノサ(新四郎さ)」その一
- わしが小学校へ通うようになったころのこと、家へ、小門物屋や薬屋など、行商人が時たまやってきて、ひとしきり世ばなしに花を咲かせていた・・・
第129話
「イノサ(新四郎さ)」その二
- 朝から松蟬の嗚く、なまだるい日じゃった。坊と二人で昼飯を食って休んどったらの、下の方からビーが上がってくるんじゃんな。いっつもなら姿も見えんうちから・・・
第130話
「小川峠」
- 昭和三十二年に小川道が新しくできてからは、毎日二十台、三十台と自動車が通って、ほとんど歩く姿は見んようになったな。わたしの知っておる昔の道は・・・
第131話
「戦中戦後」
- わたしは、大正十五年に役場へはいって、いわゆる戦時村長であった高田さんの時は、助役をやらしてもらったがな。高田さんは、翼賛会の関係からして追放に・・・
第137話
「寒水の年中行事」その一
- 一月は、まず三が日。おふくろんたの段階では、ネンシュウってやつを知ってござるんやわな。元且の朝ざりに、朝飯前に近所の仏様へ参るやつじゃわな。キリシタンか・・・
第138話
「寒水の年中行事」その二
- 三月には、お彼岸までに、一年中焚くタキモノをこしらったもんやな。まわしがわるいといと、苗代済まいたとこで棚にしてふたをする。お彼岸の中日が・・・
第139話
「寒水の年中行事」その三
- 田植えは、蚕の四眠までに済まさにゃぐあいがわるかった。それからは、蚕にかからんならんでな。今と比べて量も飼ったし、掃立ても早かった、六月の・・・
第140話
「寒水の年中行事」その四
- 山の草刈りが済む。お祭りの時分からして、夏作りのヒエ・アワ・タカキビの収穫をしてまって、大体、十月十日までに麦蒔きを終わったもんや。麦は、・・・
第141話
「寒水の油屋」
- ご維新になって、寒水の奥の宮の山が官林になるかならんかっていう境目の時な。わしのジッサマは、本光寺の孫じゃったが、七年も区長しとざって・・・
第142話
「死にぞくなった話」
- 二十の年の冬、越前へ表具屋に行ってな。雪が九尺降ったんや。その時、大島まで六里の道をな、上穴馬の持穴を一時にでかけたわい。オカザリを十ほど・・・
第143話
「白炭と六十年」その一
- どしょっぱつの話からせると、わしは、明治三十三年九月に、寒水第六十番戸、戸主忠四郎の長男忠太郎の次男坊に生まれたんやがな。忠四郎という人は・・・
第144話
「白炭と六十年」その二
- ヨソ山で焼いたには、気良山で十年程と、東俣山へ丸一年、そのほかは、ほとんど寒水の山で焼いとるがな。寒水でも奥の宮の区有林が主ですわ・・・
第145話
「白炭と六十年」その三
- まあ、アイマチをして医者にかかったことは、五、六回もあるけんど、病気で医者に手を握ってもらったことは、覚えとるにカゼひいて二回だけやな・・・
第146話
「村境相論始末書留」
- このお話は、置田勇氏御寄贈による、明方村立博物館所蔵、置田家文書のうち、村境相論始末書留によりました。1822年、今から凡そ150年前のお話です・・・
第147話
「とりあげばば」
- わしのおばあは、おるてって言いまして、気良から二十の年に置田仁兵衛へ嫁に来たわけで。こどもが女三人、男一人ありましたが、男の子は二歳で死に・・・
第148話
「水沢上でのなりわい」
- 水沢上の変わったということは、家が少のうなりましたな。道路がはいって、きょうでは、別荘が建つといった、そんなとこでござんすかいな。家数は・・・
第149話
「水沢上の金山と発電所」
- 伝説のあの金山は、牧場になっていた元水沢上あたりで、鉱石は飛騨松谷から運んだんでござんしょう。この二十年も前に、古池助右衛門さが鉱山道楽の・・・
第150話
「池仏様と荘川街道」
- 池仏様は、黒谷の常念寺さんの方へ三体、わしんとこは、六字の名号二体でござんすがな。わしんとこは、昔は道場でござんしたもんでな。水沢上の・・・
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