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見どころ

 

 郡上八幡は、東西および北の三方を山に囲まれ、町の中を吉田川と小駄良川が流れ、町の西側で長良川に合流しています。町の93パーセントを山林が占め、年間降雨量2,800ミリと多雨な地域です。
 戦国時代の末、八幡城が築城され、狭い平地に城下町がつくられました。以来、宝暦の百姓一揆、凌霜隊などの歴史の流れを経てきました。
 柳町、職人町、鍛冶屋町などは大正時代の町並みと風情を残し、風情のある町並みを流れる「北町用水・柳町用水・いがわこみち」や水舟など、水の恵みを活かす町です。

 

宗祇水

 郡上八幡の代表的な湧水は、宗祇水。宗祇水の名の由来は、連歌の宗匠として知られた飯尾宗祇が文明年間この泉のほとりに草庵を結んで、この清水を愛用したところから名付けられたものです。
 時の郡上城主、東常緑は武家歌人として知られており宗祇は古今集の秘事を伝授してもらうため文明3年(1471年)から同5年までのおよそ3年にわたって訪れました。そして、帰路につく宗祇を送った常縁が、泉のほとりで

もみぢ葉の ながるる竜田 白雲の     
  花のみよし野 おもひわするな

                          常緑

と餞別に歌を送り、宗祇は、返歌としてこう詠んだといいます。

三年ごし 心をつくす 思ひ川     
  春たつさわに わきいづるかな

                          宗祇

 以後、江戸時代、遠藤常友によって整備され「白雲水」と命名されました。大正8年、有志で宗祇倶楽部が結成され、後、宗祇水奉賛会が引き継ぎ宗祇水を守っています。昭和49年には県の史跡文化財の指定をうけ、また昭和60年には全国名水百選の一番手として環境庁の指定を受け、郡上八幡の名勝となっています。

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郡上八幡城(別名積翠城)

 四季折々の美しさを見せる八幡山のいただきに、白亜の天守閣、郡上八幡城がそびえています。 永禄2年、東殿山の合戦で、東氏は滅び、遠藤盛数と主権を交替しました。
 盛数は郡上全部を支配し八幡山に居械を築きました。 南に吉田川、西に小駄良川を擁して天然の堀とし、東と北には峠壁のように山が連なる要塞となっています。
 いくたびか戦国争覇の荒波に浮沈しましたが、盛数の子、慶隆から5代48年間、遠藤氏は権力の座にありました。その後、稲葉、井上、金森、青山と領主は交替し、八幡城四百年の歴史をつづっています。
現在の天守閣は昭和8年に再建されたもので、昭和62年から63年にかけては、城郭の大改修が行われました。

【入館料金】大人:300円 小人:150円 ※20名以上団体割引有り ※郡上八幡博覧館との共通券有り 【開城時間】3〜5月・9〜10月/9:00〜17:00 6〜8月/8:00〜18:00 11〜2月/9:00〜16:30【備考】無料駐車場有(20台)

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古い町並み

 戦国時代末期、時の領主遠藤盛数が、吉田川と小駄良川を天然の壕にみなし、八幡山に城を築きました。郡上八幡は、その城下町としてつくられました。
 城下町として整備されてきたのは、城主遠藤常友(1646〜78)のころで当時の城下の中心部は現在の北町(吉田川の北側)でした、また現在の市街地のほとんどの区域にわたり武家屋致と商家と寺院が配置され、典形的な城下町の面影を残しています。大正八年の大火によってこの北町全域は焼土と化し、当時の家は焼失しましたが、城下町機構としての道路など、その基調となる形は若干の地域を除いてはほとんどそのまま残っています。
 小さな平地に城下町がつくられたために、防火対策は非常に重要で江戸時代のはじめ、承応年間の大火を契機に藩主遠藤常友は島谷用水、柳町用水を開き、それらを町中にはりめぐらせ防火用水として整備しました。その後、大火のたびに、用水は拡張され、整備されていきました。これらの用水は、生活用水として利用され、独特の水の文化をつくりました。郡上八幡城のふもと、柳町、職人町、鍛冶屋町は、袖壁と紅格子が似合う美しい景観も残され、通りを流れる水路もとけあって、独特の風情をかもし出しています。

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清流吉田川

 町の中央を東西に流れる吉田川の清流には奇岩が起伏して点在し、激流の水は清く、特にアユの友釣りで暑さを忘れる清涼な川岸、あるいは夕闇の迫るころカジカの声に耳を傾けば、また格別の快さが心を奪います。ことに下流の市街地においては、八幡大橋・学校橋・新橋・宮ケ瀬橋・郡上大橋・小野橋が町の南北を結び、それらの筒を岩に砕け散って水しぶきをあげながら流れる瀬、岩壁の下によどむ藍色の深い淵、夏のタベには水面に映る灯火の影はひときわ美しい吉田川の佳景である。またこのあたりの川にはカガリ岩をはじめ幾多の伝説やいわれが秘められています。

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郡上八幡博覧館

 「博覧館」とは、「博物館」と「博覧会」の合成語です。建物は、大正時代の旧税務署を利用したレトロと現代が同居する空間で、郡上おどりなど江戸時代の風物、風景を展示した「郡上絵巻」、長良川・吉田川に住むさかなたちのロウ細工を紹介する「郡上八幡のさかなたち」、十種類の郡上おどりの紹介と郡上おどりのビデオ紹介した「おどり十種」、吉田川の流れを感覚で体験できる「イメージホール」、宝暦の百姓一揆、からかさ連判状等をパネル紹介している「宝暦の百姓一揆」、郡上紬・郡上本染を紹介している「わざ展示室」など「水」「歴史」「わざ」「おどり」のコーナーに分かれ、楽しみながら、郡上八幡の魅力を知ることができます。

【入館料金】大人:500円 小人:300円 ※団体割引有り ※郡上八幡博覧館との共通券有り 【開館時間】9:00〜17:00 おどり開催日は18:00まで 【休館日】12/24〜1/2日 【備考】普通車駐車場(50台/300円) バス駐車場(6台/2,000円)

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旧庁舎記念館

 八幡町役場旧庁舎は、市街地のほぼ中央に位置し、昭和11年、当時の英知と技を結集して建てられた洋風建築で、木造2階建て、正面と南側には玄関ポーチを配し、外壁は板張りに縦長の端正な窓、屋根組は当時最新の技術であったトラス工法が用いられ半世紀以上にわたり、行政の中枢機能の役割を果たしてきました。
1階には観光案内にあたる観光インフォメーションコーナーや「吉田川サロン」、郡上の山と山並をデザインしたテーブルをロビー中央に配置してあります。休憩用椅子には栃の一枚板を使い、壁面には極めて高い建具技術を駆使した千鳥、籠目組、角亀甲などの格子を取り付け、木の暖かさ、木の美しさ、木の楽しさを味わえます。
 また、農産物、農産加工品などの農村の「美味」を紹介するコーナーを設け、郡上八幡の梅やシソの手作りジュース、あるいは「えめし」なども楽しんでいただくと同時に、各種の地場産品も紹介してあります。

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神社・仏閣

 郡上八幡には、町の規模の割に神社や仏閣が多く、特に市街地の密集度は著しいです。これは、六代八幡城主遠蕗常友が、「8家9宗」を理想とし近郊の寺院を招いたからです。遠郷山安養寺、妙高山最勝寺、鐘山慈恩護国禅寺、千躰山浄因寺、光耀山長敬寺、竹林山願蓮寺、玉井山蓮生寺、松峰山洞泉寺、鞍馬山郡上別院 善光寺、瑞宝山楊柳寺、報徳山英霊寺、香厳山悟竹院、愛宕山遍照殿、八幡神社、岸剣神社、日吉神社、愛宕神社など、それぞれに歴史や由緒ある神社仏閣が辻のつきあたりに置かれています。

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やなか水のこみち

 市街地の中のちょっとした空き地を生かして造られたミニ公園(ポケットパーク)の一つです。以前は、町屋に囲まれた普通の路地で、古くは農業用水であり、その後に生活用水として島谷用水を分水した側溝がありました。ここに、郡上八幡の中央を流れる古田川を再現するという構想が実現しました。やなか水のこみちには、町内を流れる川から拾われた約8万2千個個の玉石がさまざまな方法で埋めこまれています。長い年月の間、水に磨かれた玉石によって、水辺の表情が醸し出されています。車道部分にも、人間がゆっくり水辺を楽しみながら歩けるように、楽しい工夫が施され、コロコロと落ち込む水の音は、耳も楽しませてくれます。また、このこみちに沿った斎藤美術館、おもだか家民芸館、遊童館を「やなか三館」と総称しています。

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愛宕公園

 市街地の南東に位置する公園で、古老木「墨染の桜」があります。これは一六世紀のころ城主遠藤慶隆が植えたもので、今はもう老境に達していますが在りし日の桜花の華やかさがしのばれます。園内には、愛宕神社・蚕桑明神・勝軍池・円通閣(慈思寺の観音堂)・弘法遍照殿・五人塚・花鳥塚・宝暦義民碑・忠霊塔その他数多くの記念碑が樹間に点在し、勝軍池には天然記念物のモリアオガエルが棲息しています。春になると園内にある桜が満開になり、桜の名所としても親しまれています。また、この丘の東側にはつづら折りの山路があり、三十三間堂と称して三十三体の石の観音像が曲がり角ごとに祭られ、この山からは、尾根伝いに南に向かうと東氏滅亡の悲史を秘めた東殿山城跡へ登ることができます。

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那比新宮神社

 高賀山のふもと修験道の里で栄えた高賀六社の一つ。老杉の大木がうっそうと茂った中にある宝物殿には、国の重要文化財に指定されている懸仏をはじめ貴重な宝物がたくさん(約1,200点)あります。これらの宝物は、ほとんど鎌倉時代から室町時代に納められたものであり、その時代に新宮神社がどんなに栄えていたかを思い出させてくれます。たくさんの宝物のなかで、とくに懸仏は全国的に有名である。懸仏というのは、銅の板に仏様の像をきざんだり、仏様の像を作ってつけ、かべや柱に掛けてまつるようにしたもので、円や扇の形をしている。新宮神社には、円い形をした大小さまざまな懸仏が259二面あります。一つの神社にこれだけたくさんの懸仏がある所は他にないといわれています。これらの懸仏は、鎌倉時代から室町時代に作られたもので、お参りをする人たちが願いごとをかなえてもらうために納めたました。いちばん古いものは正嘉元年(1257年)に作られ、銀色の銅板を円形の木の板にかぶせその中央に虚空蔵菩薩の像がはりつけてあり、わが国の懸仏のなかでは、もっともすぐれた作品の一つとされています。新宮神社の宝物には、懸仏のほかに、おもなものとして仏像(8)お経の巻物(600)鐘、錫杖(修行者の杖)鰐口(拝殿の前につるしお参りの時につなをつけて引張る)つぼなどがあります。

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